子育ての知恵ぶろぐ 第284回 叱る方がいいのか、叱らない方がいいのか? PART2

叱る方がいいのか、叱らない方がいいのか?
よく「厳しい」=「しかる」と
連想する人がいますが、
これは間違いです。

しからなくても
厳しくすることはできますし、
しからないで厳しくする方法を
とるほうがより厳しさが増す場合も
あります。

例えば、おやつは午後三時という
定められた時刻にあげるということに
なっているとします。

急にお客さんが来て、
そのお客さんに出すお菓子を
見かけたばかりに、
ねだってだだをこねたとします。

そのとき、しかる教育法では、
言葉で強くしかりつけたり、
手をあげて打つなりして、
罰をくわえ、それによって
やめさせようとします。

ところが、しからぬ教育法では、
子どもがどんなにせがんでも、
だだをこねてみても
相手にしないのです。

どうしてもうるさくて
邪魔になるときは、
別室に入れてしまうとか、
家の外に出してしまうとかするのです。

ひとの邪魔をするものは
仲間に入れておけぬという
社会生活の法則を
知らしめる取り扱いです。

この二つの方法を比較してみると、
よくない行為をやめさせる
という点においては、
両者とも同じです。

しかしながら、
子どもがこれをやめる心理過程は
全く違っています。

前の場合は、父なり母なりから、
しかられたからやめるというのであって、
父なり母なりから憎悪を与えられ、
子どもはそれに対し憎悪を
かえすのです。

後の場合には
自分が不当の要求をするので
相手にされず、かまわれず、
独りぼっちにされてしまうのです。

そこで人からのこらしめは受けないが、
自然的な応報を受けることになります。

だれも恨むわけにもいかず、
自分が悪いからだと
気がつくようになります。

もっともはじめのうちは、
自分をしりぞけた者が悪いと
うらむ心を持つかもしれませんが、
取り扱いをする者が
叱責や懲罰の気持ちや態度を
少しも加えずに、にこにこしながら
「さあ、そんなだだっこは
あっちに行くんですよ」
というふうに、淡々とした態度で
扱っていけば、
子どもは決して憎悪の心を起こさずに、
自己の非をさとり、
これをやめるようになるのです。

甘やかし教育がしりぞけられる理由は、
それが困難を与えない教育だからです。

人は、困苦欠乏に
耐えることによって
立派な人間へと成長するのですから、
幼いときから困難に耐えさせる
生活訓練が必要です。

しかし、これをなすにあたって、
親が憎まれたり、
子どもの憎悪感を高めなければ
ならないということはありません。

また、しかる親は
しばしば子どもを甘やかす傾向が
あることにも注意しなければなりません。

しかる親の多くの場合、
理性的な親ではなく感情的な親です。

子どものために
しかったほうがよいからと
冷静に考えてしかるなどという場合は
ほとんどありません。

大概は自分がくやしくなって、
カッとしてしまってしかるのです。

それゆえに、
しばしばしかりすぎて後悔するのです。

その結果として、
しかりすぎたあとでは、
その埋め合わせに、
余分に可愛がるようになるのです。

そうしようとしているのではなくても、
無意識的にそうなってくるのです。

すると、子どもにとって
何が良くて何が悪いのかという
判断の基準があいまいになってきます。

その結果、
きちんとした判断ができなくなり、
モラルの欠けた状態を
作り出してしまいます。

心理学者である青木誠四郎氏は、
その著書『青年心理学』の中で、
叱責が児童に与える影響を
詳細に調査報告しています。

それによれば、
感情的な叱責が最も悪いのであって、
理性的な取り扱いが
最も望ましいものであることを
明らかにしています。

つまり、たとえしかる場合でも、
感情的にするのではなく、
子どもに本当に
わかってもらいたいことを明確にし、
どのように指導したいのかを
考えた上で行わなければなりません。

あせらず、せかさず、
信じて待つことが大切です。

イギリスの偉大な教育家
A・S・ニイルの言葉に
次のようなものがあります。

「愛は、愛を育て、
憎しみは憎しみを育てる」

また、
「肯定は肯定を呼ぶ。
否定は否定を呼ぶ」

という言葉もあります。

相手を包容した上で、
善意に基づいた見方、行動が
良い結果を生むのです。

~人生の教科書 第74話
『シリーズしかる②』を参照~