子育ての知恵ぶろぐ 第285回 叱る方がいいのか、叱らない方がいいのか? PART3

叱る方がいいのか、叱らない方がいいのか?
「しかる」ことは必要不可欠なもの
でしょうか。

子どもの状況や心理が
よく見えないあまり、
しかる必要もないのに
しかってしまう
ということが
あります。

ここに、
日常よく起こる例があります。

一人の母親が、子どもを連れて
銭湯に入ってきました。

ふろにつかってから
流し場に出てくると、
母親はすぐに自分の体を
洗いはじめます。

顔からはじまって手足の先まで
丹念に磨きあげている間に
子どもは一人広い流し場をとびまわり、
お湯をくんだり流したり、
ぱちゃぱちゃといたずらしたり、
よその人にはねかえしたり、
人のつかっているおけを
平気で持ってきてしまったり、
一刻もじっとしていません。

この子が来るとだれもが迷惑そうに
顔をしかめるのですが、
母親だけは平気で、
どこを風が吹くかという顔で、
あいもかわらず
せっせと自分を磨いています。

やっとその磨きが
どうやら片付いたとなると、
母親はいまさらのごとく
大声で子どもを呼びます。

「太郎や、体を洗うんですよ、
何をしているのかね、この子は。
遊んでばかりいて、
まだちっとも洗ってないのね。
しようのない子だこと、
さあこっちにおいで、
お母さんが洗ってあげるから」

そう言っても子どもは、
口の先だけ「うんうん」と
言っているだけで、
いっこうに洗ってもらおうとは
しません。

はては母親もがまんができなくなり、
大きな声で怒鳴りつけ、
ビンタをくらわすようになります。

子どもはいやがって、
ギャーギャー泣いているのを
やっとこらえて洗ってもらう
という始末です。

「本当にこの子ったら、
言うことを聞きませんのよ。
ずいぶんあたし、厳しく
しつけているつもりですけれども、
こんなに言うことを
きかないのですものね」

そばの婦人に話しかけては、
こう嘆いているのです。

そんな折、もう一人の母親
が子どもを連れて
銭湯にやってきました。

そのやり方はさきの母親とは
まるで違います。

この母親は
ふろにつかって上がるとすぐ、
「さあ坊や、洗ってあげましょう」
と言います。

けれども坊やは、
「いや!」と言ったきり
母親の方には来ません。

でも、母親は別にしかりもせず、
「そう」と言ったきり、
せっせと自分の体を洗い始めます。

でもその間、
この母親は絶えず坊やに注意を
おこたりません。

「ほら坊や、こっちに来てごらん、
お母さんのあんよはこんなに大きいよ」

母親は誘うようにこう言うと、
坊やもつりこまれます。

「ぼくのあんよだって大きいよ」

「そう、でも洗ってみなければ
大きいかどうかわからないよ」

「じゃ洗って」
坊やはとうとう洗わせることに
なりました。

母親は片方の足を洗ってやりながら、
もう片一方は坊やに洗わせます。

母親は片方をきれいに
洗いあげてしまうと、
「坊やはお上手ね、
ほんとうにお上手に洗えたのね、
これでは、お母さんより
上手かもしれない。
どれどれ、じゃ今度は
とりかえっこをして、
もう一度洗いましょうね」

そう言って
坊やの今まで洗っていたほうを出させ、
これもきれいに洗ってしまいます。

この調子でこの母親は、
一つも小言を言わないで、
坊やをきれいに洗ってしまうのです。

これらの例からもわかるように、
子どもの心を理解せずして、
子どもを意のごとくしようとして、
しかってばかりいる親は、
かえって子どもを
思うようにすることができないのです。

子どもを理解している親は、
理解をもとにして、
あくまで子どもの心理に
即応する導きをするために
子どもは強いられることなく
言うことをきくようになるのです。

ここから言えることは、
上手な導きは
子どもをしかる必要がないのに反して、
下手な導きをする親ほど
しかることが多くなるのです。

ですから、
子どもを変えようとする前に、
親がよりよい導きができるように
工夫していくことが大切なのです。

~人生の教科書 第75話
『シリーズしかる③』を参照~