第219回 行き過ぎた「平等主義」に惑わされない心の教育

行き過ぎた「平等主義」に惑わされない心の教育

学校の地位低下が叫ばれて久しい今日この頃、
教師より高学歴の親が増えたこともあり、
家庭と学校の地位は逆転しています。

親は教育への不満を学校へぶつけ、
子どもの前でも教師の悪口を言うことも
少なくありません。

そうなると、
子どもが教師を見る目も変わります。
ある小学校では、
目の前で教師が率先して掃除を始めると、
以前なら「先生がやっているからやらなきゃ」
という子どもが大半でしたが、最近では
「先生がやっているからいいや」
と傍観するというのです。

また、ある高校では、
たばこを吸っていた生徒に注意した学年主任が、
「先生も生徒も平等でしょう」と反論され、
問答が続いたということがあったそうです。
教師である大人の権威は薄らぎ、
生徒たちの平等意識は強くなっています。

注意されてもなかなか自分の非を認めずに
「指導法が悪いから」
「そんなに怒らなくても」
という反論ばかりで、
現場の教師は生徒を叱る際、
昔より気を使い神経を磨り減らすといいます。

「大人には許されても、子どもはまだダメ」
というかつての理論は通用しにくくなっており、
子どもたちが対等な意識で接してくるとは
思っていないベテラン教員ほど、
その戸惑いは大きいようです。
ある関東地方の中堅私立大学の教授も、
教える者と教わる者…両者の間の「境界線」が
消失しつつある、と感じているといいます。

長年の信頼関係があるわけでもないのに、
初対面や短期間の付き合いで、
教授を「さん付け」で呼ぶ学生が
最近明らかに増えており
大きな抵抗感があるようです。

学生から「〇〇さん、いますか」
と声をかけられることは
珍しくなくなったばかりか、
論文を引用した研究者名や
課題レポートの表紙に書く担当教授名を
「〇〇さん」と書く学生が出現し始め、
酷いケースになると、
なんと「あだ名」が書かれていることも。

そのたびに
「〇〇先生でしょ」と注意しているそうすが、
不満げな表情が返ってくることも
少なくないようです。

最近の学生は上下関係という規範意識よりも、
親しみを表す方が優先順位が高い、
すなわち「友達感覚」が強いのでしょう。

学生からすれば
「私たちの仲間に入れているのに
なぜ距離を置くのですか」
という気持ちかもしれません。

そんな風潮を良かれと思って
受け入れる教授もいるそうですが、
どうしても違和感がぬぐえないのも
当然かもしれません。
しかし、一方では
教員側の問題点を指摘する声も
少なくありません。

毎年夏に行われる、
新任の小学校教諭を集めたある研修会では、
40人ほどの参加者のうち
毎回4、5人ほどが
まだ一学期が終わったばかりにもかかわらず、
「学級崩壊寸前です」とSOSを発するといいます。

「なぜか」と思い教育方針を尋ねると、
判で押したように
「子どもを信じ、友達のように仲良くしたい」
「一人一人の個性、自主性を尊重したい」
といった答えが返ってくるというのです。
「指導」を『支援』と言い替えたり、
教壇も取っ払ったりして、
教育やしつけに欠かせない上下関係を
自ら放棄してしまい、
ルールを教えることは軽んじられ、
意味を履き違えた個性や
自主性ばかり重視される…
まさに「行きすぎた平等主義」の弊害でしょう。

これらの子どもたちや
教員たちのケースを見ていると、
幼少期から「心を育てる」ことの重要性
感じざるを得ません。
ヘーグルでは心を育てるプログラムで
人間的な総合力を身につけることに
注力しています。

ヘーグルの子どもたちは
単に学力が高いだけではなく、
これからの未来を察知することができ、
深い洞察力によって良好な対人関係を
結べている子が多いのです。
~志のある人間に 第225回
「みんな平等 指導の手段 失う教育現場」
を参照~